ーーはじめに、みなさまの自己紹介をお願いします。

尾原:私は1962年に大学を出て、ずっと繊維、アパレルマーケティング、小売、教育機関などに関わってきました。キャリアでいえば、高校の交換留学でミネソタ州に行きまして、そこで価値観を決定的に変えられました。「人と違うことはいいことだ」ということを刷り込まれたんですね。それまで内気な子だったんですが1年でガラッと変わって、それが今のベースになっていると思います。

最近では9月に「Break Down the Wall―環境、組織、年齢の壁を破る」という本を出しましたが、まさにいろんなところにある壁をどう超えていくか、それを4つの章に分けて書いたものです。ここにもある通り、私は苦労に苦労を重ねてきたわけではなく、苦労を苦労と思わなかったんですね。だから、「壁なんかあると思っちゃいけない」ということをよく話しています。

 

濱中:Uhrの濱中と申します。私は熊本の生まれでして、大学で上京しました。大学では経営哲学という真面目な勉強をしていたのですが、就職活動でしっくりこなくて、自分の好きなことを仕事にしたいと思ったんです。ビームスが新卒採用をやっていて、ここで働いてみたいと入社を決めました。

店舗配属のあと、6年くらいPRをやらせていただきました。その後、なぜかRay BEAMSのディレクターに選ばれて。「私一体何するんですか」と上司に言ったくらい困惑したんですが(笑)、PRのノウハウを使って、これからのファッションにおいてモノ作りにどういう意味をもたせて発信していくのか考えるべしということなんだと解釈して、商品開発などいろんな経験をしました。その中でRBSという新しいブランドの立ち上げを会社の中でやらせてもらえたことは、今のキャリアにもつながっています。

2016年にビームスを退社し、そこから半年くらいでUhrというブランドを立ち上げ、来年で3シーズン目になります。時代に逆行しているかもしれないですが、できれば取引先は目の届く範囲に絞って、一緒に長くブランドを作り上げていきたいと思っています。

(濱中さんについて詳しくはこちらの記事へ「BEAMSから独立しブランド設立。Uhrデザイナー濱中さんのキャリアと服への向き合い方」

 

柿沼:ベイクルーズでEMILY WEEKをやっている柿沼です。私は鎌倉出身で、美術大学で油絵をやっていました。卒業後はウェブのベンチャー企業で、広報やディレクターを担当しました。新卒だったこともあり頑張りすぎてしまうこともあって、体に無理をしてしまい生理が重くなっていってしまったんです。これはいけないと生活を見直して、いろんなケアグッズを試しているうちに、毎月訪れるものが楽しくなってきて。いつか、そんな自分と向き合うことの楽しさを伝えられるブランドをファッションブランドとして展開できないかと思うようになりました。その後、その夢に近づくためにも、ウェブの販促ディレクターとしてベイクルーズに転職しました。

ベイクルーズではウェブ販促業務をやっていたのですが、2016年に「スタートアップ・キャンプ」という社内コンテストでEMILY WEEKのコンセプトをプレゼンして役員から選出され、2017年にブランドを立ち上げることができました。いま、ポップアップとECで展開していて、来年春にはお店を出す準備をしています。女性には生理週間を起点に毎週いろんな悩みがあって、その悩みと向き合うことがポジティブに捉えられるようなアイテムをファッションブランドとして提案しています。

(柿沼さんについて詳しくはこちらの記事へ「自身の経験をブランドに。WEB業界から転職しベイクルーズ社内コンペで叶えた夢」

 

ーーありがとうございます。まず「キャリアを創造する」というテーマですが、キャリアを考える上で大切にしていることはなんですか。

尾原:キャリアというのは「生涯」とか「人生」という意味ですが、一般的には「仕事」という意味で使われますね。日本では女性が仕事をしはじめた頃から「キャリアウーマン」という言い方がありますが、これにすごく違和感を感じていて。「キャリアマン」という言葉はないですよね。

また、これまで新しい商品を作って売ることだけしか考えられなかった世の中にレンタルサービスやウーバーのような仕組みが生まれています。現代は「個人化」「パーソナル化」「エシカル」「ミニマル化」そして「人間的に生きること」という5つが潮流だと思っていて、まさに柿沼さんがやられている“タブー視されていたことを女性がブランドとして立ち上げる”ことは個から生まれた素晴らしいアイデアだと思います。

ーーそんな柿沼さんが仕事において譲れないもの、犠牲にしてきたものってありますか。

柿沼:大学卒業後、油絵を諦めてから会社で働き始めた頃から自分のやりたい事がわからなくなってしまい…。何を軸に仕事を続ければいいのか、納得できない自分がずっといたんです。だから、自分がしたいことができる今の環境は絶対に譲れないですね。

濱中:私は32歳くらいで外に飛び出してみようかなと思っていたんです。そんなタイミングでディレクターという大きなポジションを与えられて、年齢的にも結婚や子供を持つことが遠のくんじゃないかと悩みました。これが犠牲といえば犠牲ですが、得たものも大きかったです。

フラッグシップショップのリニューアルで、”男性が考えるウィメンズのお店”ではないものを作りたいと思い、ものすごい量の資料を作って社長に直接持って行きました。そうしたら社長が理解をしてくれて、「女性だけでチームを作りなさい」と。大変でしたが、達成感もすごくて、こうした環境は有り難いものだと感じました。