ビームスで販売員からプレス、そしてブランドディレクターに抜擢

熊本で生まれ育った濱中さんは、進学を機に東京に上京。大学では経営哲学を学んだ。

「小さいころから洋服は好きでしたが、職業にする気はなくって。でも、ストックキングをはき、黒いスーツを着て、全然自分らしくない格好で就職活動をしている姿に違和感を持ってしまって……。ひょんなことからファッション系の面接を受けてみたら、面接官も話の内容も雰囲気もとてもしっくりきたんです。ライトに生きてきて、純粋に『楽しいところで仕事をしたい』という思いが、未知の状態からファッション業界に入る決め手になりました」

配属先は、ビームスの主力ウィメンズ業態の旗艦店「レイビームス」原宿店だった。「インターナショナルギャラリー ビームス」や、渋谷の神南にあった「ビームスタイム」に勤務。多くのデザイナーズブランドにも触れられ、原宿と渋谷という東京の2大カルチャーを体感することもできた。プレスに抜擢されたのは、20代半ばのことだ。1000本ノックのようなプレス業務が、後につながる大きな経験となった。

「ビームスのプレスは想像以上の範疇を任されているので、やりがいもありつつ、相当ハードな毎日を送ることになりました。モノを作って店に置くだけでは売れない時代になっていたので、プレスとディレクターが何をどうやってターゲットの方々に売っていくのかという組み立ての部分から一緒に考えて打ち出しをするようになっていました。その業務を一本化する際に、『レイビームス』のディレクターを任されたんです」

シーズンのディレクションやテーマ出し、オリジナル(PB)の商品作り、仕入れブランドの再編、海外でのバイイング、国内仕入れブランドの選定とコミュニケーション、そしてプロモーションまで一気通貫で担当。さらに、2015年春夏にはオリジナルの新ブランド「アールビーエス(RBS)」も立ち上げた。オリジナルと仕入れ品をつなぐブリッジ的な存在を新たなオリジナルで担うことで、世界観の確立と、安定的な商品供給、結果として売上げの向上につなげたいと考えたわけだ。

「芯の強さを持った現代女性に向けて、ワンランク上の素材とひねりを加えたディテールのある服を、クリーンでエフォートレスなスタイルで提案したいと考えました。エイジレスもキーワードの一つでした。新しさの一方で、脈々と築かれてきたブランドの歴史を尊重し、枠をはみ出さず守るべきものは守ることを心掛けました」

 

さらに、渋谷のビームスタイムの2階を改装し、ウィメンズのカジュアル業態を集積した新旗艦店「ビームス ウィメン 渋谷」のディレクションも担当した。

「服を着ることは時間を着ること」自分のペースで服と向き合う

そうして3年ほどかけた「レイビームス」のリブランディングがひと段落し、売上げも上向きになったタイミングで、自分自身のキャリアを考えるようになった。

「36歳になり、結婚し子どもを生むかもしれない中でのキャリアデザインとして、自分のペースで無理なく働きたいと考えるようになりました。外で勝負をしたいと思いもありました。ブランドを立ち上げようと思ったのは、自分自身、大量消費されていくモノに疲れたから。トレンドを意識せず、自分が着たいと思うものを作り、それに共感してもらえて、クローゼットにあり続けて長く着てもらえるようなものを、ゆっくりと作っていきたかったんです」

2017年春にデビューしたオリジナルブランドには、ドイツ語で時計、時刻という意味を持つ「ウーア」と名付けた。ブランドメッセージは、

“to wear Uhr, to wear time。服を着ることは時間を着ること。日の始まりに、その日の気温や行く場所、会う人を確認して服を選ぶ。何かや誰かを思いながら、服を選ぶ。そんな風に私たちの日常にはいろいろな“時”と“服”の関係があり、そこには必ず思い出の服がある。時とともに変化し、時とともに深化する。人生の中での様々な“時”に記憶されていく存在になることが、『ウーア』の願いです”

というもの。

「仰々しいことはなんにも考えていなくて、シーズンコンセプトも立てていなくて。時代にとらわれすぎず、流行に流されず、マイペースに服やスタイルを生み出したいという思いを込めて、毎シーズン、30型ぐらいに限定して丁寧にモノづくりをしていこうと思っています」

象徴的な素材として杉綾のテープをいろいろなところに取り入れたり、自分たちのラフなスタンスを表現するために切りっぱなしを多用したり、杉綾テープの縛り方次第で独特のフォームや個性のある着こなしが作れるようにしたり。世界観を表現するために、気鋭の若手フォトグラファーの小浪次郎を起用してニューヨークでのビジュアル撮影に臨んだりもした。

想いが伝わり共感されるモノづくりを

ビームス時代に培ったネットワークなどを通じて展示会に招いたファッションのプロたちに評価され、2シーズン目にしてほとんどの大手セレクトショップが買い付けを行い、地方の個店にも販路が広がるようになっている。とはいえ、戸惑ったこともある。とくに生産面では、難しさも多々感じた。

「それまでは大きな会社がバックについていたり、OEM会社を活用することなどで、作りたいものがぱっと作れる恵まれた環境にありました。けれども、無名に近くてロットがないなど背景がないと引き受けてもらえなかったり、ファブリックもオリジナルを作るにはリスクも高すぎるので、既製品から選ぶしかなかったりもして。よっぽどのバッカ―がいれば別かもしれませんが、個人であるがゆえ、思うようにいかなくて悔しい思いをしたこともありました。そのハードルを乗り越えてモノづくりをすることが一番大変なところでしたね」。

いま、ブランドのオーナー兼デザイナーという立場になって、改めて感じることがあるという濱中さん。

「最近のファッションやファッション業界は、一つひとつの服や商品に対して、『なぜこれを作るのか』を考えないで作ってしまっている気がします。安い服が簡単に手に入るようになったため、若い子たちからは『服は高い』といわれることが増えていると思います。でも、なぜこの服が高いのかを知れば、納得がいくはずです。原始的ではありますが、モノに込めた想が伝わり、共感して買ってもらえるものを作るということが大事だと思っています」

濱中さんご登壇のイベント開催決定!
詳細はこちらから↓